【日本語教師志望者必見】日本語教師になるためにしたこと

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やまさん

この記事では、私の経験に基づいて書いてあります。
現在の制度には当てはまらない場合がありますので、ご注意ください。

  • 日本語教師を目指したきっかけ
  • 日本語教師になるためにしたこと
  • 教育実習で何を学んだか
  • 大学で何を学んだか
  • 大学院で何を学んだか
  • 社会人としての日本語教師の経歴

などについて書いていきます。

ぜひお付き合いお願いいたします!

目次

日本語教師を目指したきっかけ

やまさん

私は、1990年代生まれ、30代突入した女子(笑)です。

将来の夢変遷

小学校の先生⇒翻訳家⇒日本語教師

と、まあ現実味のある将来の夢の変化をしてきました。

とにかく外国に興味を持った小学校・中学校時代でした。読んでいた本はイギリスのティーン文学で、ジャクリーン・ウィルソンのヴィッキー・エンジェルが大好きでした。

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ハリー・ポッターや、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(ハウルの動く城の著者)のシリーズも大好きで、この本に出会うことができたのは、翻訳する人がいたからで、翻訳家っていう仕事はなんて素敵なんだろう!と思いました。

翻訳家にはなれないと思った

中学生の間は、英語の授業が楽しくて仕方が無くて、家に帰ってからも翻訳ノートと称して、英文の訳を書いていたりしました。

その情熱は高校進学まで続き、高校は英語をもっと本格的に勉強したいという理由で英語科に進みました。

しかし、高校英語の難しさに躓き、かつ部活に夢中になってしまい、勉強がおろそかになったことで英語の成績は一気に下がりました。

人生の中で一番後悔しているのは、この高校3年間です。

どうして、自分の人生プランになかった部活(しかも超絶厳しいところ)に入って、英語の勉強をほったらかしにしたんだろう…と…。

卒業時には、英検2級をぎりぎりとったものの、英語の知識や能力が周りの子と比べて劣っていたのは明らかでした。

日本語への興味を持ち始める

高校は英語科に進学したこともあり、海外の高校生と触れ合う機会が何度かありました。

カナダの姉妹校から高校生が来た時に、観光地を案内する活動があって、その時に感じたんです。

やまさん

あれ、私って日本人なのに日本のこと全然知らないな。

英語力は当たり前に低いんですが、文化についての説明もできなかったし、文法の説明もできなかったんです。

その時、なんだか悔しくて、勉強しなきゃと思い始めました。

やまさん

駅前の本屋さんで、「正しい日本語」とか、「敬語表現」などなど、自分がよくわかってない日本語の本を買うようになったよ~

日本語教師という仕事に出会う

いろいろ本屋さんで日本語関係の本を見ているうちに「日本人の知らない日本語」というマンガにであいます。

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この本を読んで、外国×日本語という当時興味を持っていたことが合わさった職業を見つけます。

その後、日本語教育を学べる大学を探し、進学しました。

日本語教師になるためにしたこと

①日本語教育が主専攻で学べる大学へ進学した

夢がはっきり決まっていたので、名古屋外国語大学の日本語学科に進学しました。

私が入学したときは、学長も日本語教育会の重鎮で、外国語学部の中に日本語学科がありました。

しかし、少し前に学長が変わり、日本語学科も形を変えて国際教養学科の中のコースの一つになってしまったようです。

ですので、ここに書くのは少し前の話で、今もそのプログラムがあるかどうかは分かりませんので、ご確認をお願いします

②日本語教育関係の授業は全て履修した

当時の名古屋外国語大学には、名だたる先生方が多く在籍しており、どの授業も本当に面白かったです(そして課題も多く、難しかった…)。

全員の先生が一人一人の学生に向き合い、フィードバックをしてくれ、日本語教師になることを全力でサポートしてくださいました。

中道真木男先生

私が在学中は、中道先生が学科長でした。厳しく、しかし優しい先生です。

尾崎明人先生

尾崎先生も、学生想いで視野がとても広い先生でした。

尾崎先生は生涯現役なんだろうな~と感じます。

他にも有名な先生方がいらっしゃいましたが、先生の紹介だけで1万字超えそうなので、このお二方でやめておきます(笑)。

このお二方がいる時代に、日本語教育を学ぶことができたというのは、本当にありがたかったなあ…と思います。

\尾崎明人先生から日本語教育を学べるのはヒューマンアカデミー!!/

③教育実習に可能な限り参加した

在学中、3回の教育実習に参加しました。

①釜山外国語大学

②国内の日本語学校

③銘伝大学

への教育実習に参加しました。どの教育実習も約2週間でした。

釜山外国語大学への教育実習

初めての教育実習は、韓国の釜山外国語大学への実習でした。約2週間の実習で、みっちり指導していただきました。

今、思い返すと若気の至りもあったし、授業もめちゃくちゃだったし…指導の先生に謝りたいです(笑)。

やまさん

この実習で「絶対に日本語教師になりたい!」と感じたよ

釜山外国語大学の日本語教育は、JFスタンダードのCan-doに沿って組まれていたので、授業準備が大変でした。

メインテキストがあるわけじゃなかったので、教材は全部作らなければなりませんでした…(涙)。

でも、この時に必死に作ったので、現在、新しいプリントを作成することにはなんの抵抗もないです。

国内日本語学校への実習

国内の日本語学校の実習も約2週間でした。こちらは、教科書が決まっていたので割とやりやすい実習でした。

実習内容よりも、帰るときに「お疲れさまでした」と声を掛けると実習指導の先生から「挨拶が違います」と言われたことの方が印象的でした(笑)。

この謎の指摘は、私が初めてじゃなくて、私の先輩たちも言われてきた言葉らしく、正解がないらしいです。

「さよなら」というのも違うらしいです(笑)

未だに答えが出ないので、誰か答え分かったら教えてください。

やまさん

こういうのも含めて、日本語学校では働きたくないと感じたよ
※もちろんそうじゃない日本語学校もあると思います(笑)

銘伝大学

この大学では、文法の授業は現地の先生が授業をし、会話の授業を日本人の先生がするというスタイルを取っていました。

なので、私も、文法は理解していることを前提とした会話の授業を作成し、実習しました。

その時も若気の至りで、何度も何度も修正しなければならないことに不満を感じ、指導の先生にご迷惑をおかけしました…(涙)。

今、タイムマシンがあったら自分を殴りに行きたいです。

先生はとてもやさしくて、そんな私の気持ちを知って、

先生

やまさんは、もっと上のレベルの授業が出来ると思うから、ちょっと厳しめに指導してる。この程度でいいやって力を抜かないで欲しい。

と、言葉をかけてくれました。

その時、私はどきっとしたんですが、「この程度でいいや」ってめっちゃ思いながら教案やPPTを提出したことを先生は見抜いていたんですよね…恥ずかしい。

台湾実習の直前の日本語学校での実習で、私は高評価をいただき、ちょっと天狗になっていました。

そこをしっかり見ていたんですよね、私のばかばかばかばか・・・・と穴があったら入りたいという気持ちになりました。

この台湾実習では、授業の教え方というよりは、授業に対する気持ち、そして姿勢を身をもって学びました。

④一つ一つの授業・課題に全力で向き合った

同じ日本語教育コースの学生の中には、授業中に居眠りをしたり、課題を適当にやってきたり、発表の準備をせずにやっつけ仕事ですませようとする人が多数いました。

そのような学生たちにも先生方は丁寧に向き合ってくれたのですが、私は絶対にそうなりたくないと思っていたので、全部全力で取り組みました。

どれだけアルバイトが忙しかろうが、日本語能力検定試験に一発で合格しようが、授業中に寝ている人は日本語教師になってから必ず同じことをされます。

やまさん

実際、大学生の時に授業中に寝てた友達が、日本語教師になってから「授業中寝てる子がいるんだよね(怒)」って言った時は、因果応報だなって思いました。

⑤大学在学中に日本語教育能力検定試験に合格した

大学4年生の時に、日本語教育能力検定試験に一発合格しました。

同じ学部の中でも在学中に合格したのは2人だけだったので、すごいことだったと自負しています。

合格するために約1年かけて毎日毎日勉強し続けました。

やまさん

「日本語教育能力検定試験に受かって何かいいことがありますか?」

と、試験を受けようとしている人から、今も昔も良く聞かれます。

その質問をする人は、大抵受かりません。試験の意義は、自分で見つけるものです。

それが見つかっていなければ、勉強にも身が入らないので受からなくて当然かと思います。

⑥大学院(修士課程)へ進学した

私は日本語学校の日本語教師にはなりたくなかったので、修士課程に進みました。

大学付属の留学生別科や、外国の大学の専任などになる場合、修士課程を修了していることが条件になることが少なくありませんでした

大学院では、多くの論文を読み込み、同期や先生と議論をしました。

大学院に進む人は、私の様にストレートに進学した人もいれば、一旦社会人になってから入学した人、子育てが落ち着いてから入学した人など、様々な背景を持つ人がいました。

なので、議論も多角的な視点からでき、多くの発見と気づきを得た毎日でした。

日本語教師としての経歴

日本語学校の非常勤講師(修士課程在籍中)

院2年生の時に、先生の紹介で約2か月だけ日本語学校の非常勤講師をしたことがあります。

この学校はやめてよかった!と思う学校でした(笑)。

専任の先生方は若いのに(若いから?)風通しが悪い職場で、専任が決めたことを絶対にやってください!という感じでした。

今の職場はそうじゃないので、今思えば変な学校にあたったな~って感じです(笑)。

日本語学校も本当に様々あるので、面接を受けた時に見極めてくださいね(涙)。

技能実習生の入国後講習施設での専任講師(修了後~)

大学院を修了してから、入国後講習施設で約6年専任講師をしました。

ここでは、本当に様々なことを学びました。

一番面白かったのは、送り出し機関の先生たちの教育をしたことですかね。

ベトナムに2回行って、送り出し機関の先生たちの授業を見学し、よりよくなるためにどうするかというのを一緒に考えました。

現地の先生の教育をするという名目で行きましたが、先生たちの授業を見て、私の授業も大きく変わりました。

この職場では、約6年くらい働きました。

留学生別科の非常勤講師(現在)

日本語教師の資格が国家資格になったことをきっかけに、現在は留学生別科の非常勤講師をしています。

こちらは、友だちの紹介でするっと入れたのですが、修士号を持っている事と、6年間日本語教師を続けていた事が評価されたんだと思っています(勝手に思ってます)。

こちらでは、非常勤の先生と常勤の先生のチームワークがとてもよく、教材の共有なども活発にされています。

本当に良い職場に巡り合えたなと思っているので、これからも頑張っていきたいと思います。

やまさん

最後まで読んでくれてありがとうございました

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この記事を書いた人

日本語教師です。2歳女の子の母です。
日々奮闘しながら、仕事をして、子育てをして、ベトナム語を勉強しています。
韓国ドラマも大好物です。

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